武者陵司 「香港デモンストレーションと米中軋轢」

市況
2019年6月19日 14時40分

武者陵司(株式会社武者リサーチ 代表)

●ベトナムが米国に勝った理由、損害許容限度の差

米中貿易戦争の本質が、世界の2大経済大国、米国と中国の世界覇権争いであることが、今や明白になった。米国主導の世界秩序(資本主義市場経済とリベラルデモクラシー)の中に中国が収まっている間は良かったが、習近平政権は「中国の夢」という標語を掲げて世界秩序の新たな担い手となる野望を隠さなくなった。10月4日のハドソン研究所におけるマイク・ペンス副大統領のスピーチは、とうとう米国が中国の覇権挑戦に対して、受けて立つ姿勢を明確に示したものであり、米国は中国を潜在的敵ととらえて、その狙いを打ち砕こうとする戦略を表明した。

こうした抗争において、どちらが最終的に勝利するかは、軍事力・経済力の強さのみが決めるのではない。東京国際大学の村井友秀教授は「戦争に勝つとは、損害が国民の許容限度を超える前に戦争目的を達成することであり、戦争に負けるとは、戦争目的を達成する前に損害が国民の許容限度を超えることである」、「ベトナム戦争では、300万人を超える死者を出したベトナムが、5万人の死者しか出さなかった米国に勝ったが、その違いは戦争の損害許容限度の差、さらにはその背景にある国民の戦う意思の大きな違いにあった」と述べている。(産経新聞 正論「米国との戦争に勝てない中国」2019年6月3日付)

●中国の低損害許容限度を露呈した香港問題

これを今日の米国と中国に当てはめるとどうなるか、一般的には中国有利と考えられがちである。共産党独裁と情報管制が貫徹し、国民を自由に統制できる中国の方が、民主主義で大衆の不満表明が容易に選挙結果を左右する米国よりもパワフルで迅速である、と考えられている。

しかし、国民の戦う意思はどうであろうか。米国民と世論・与野党における「自由・人権・民主主義・公正透明な市場経済を守る」ための対中連携は強固である。いわば理念・価値観のレベルの戦闘意欲が生まれているように見える。他方、中国は、倫理的にみた共産党政権の正統性は脆弱である。

共産党独裁体制が正当化される理由は、(1)経済発展と国民生活向上を成し遂げたこと、(2)代替の13億人をまとめる統治体制が無いこと、という消極的なものである。人権・民主主義に命を捧げる人はいても、共産党独裁体制のために命を犠牲にする人は、少ないのではないか。加えて中国は、世界の工場として国際分業に深く組み込まれ、巨額の対米経常黒字によって経済成長を可能にしている国である。自給自足の農業経済国であったベトナムとは全く違うのである。

それは「逃亡犯引き渡し条例」に反対するデモンストレーションに200万人の香港人が参加したことを見れば、明らかであろう。林鄭香港行政長官は、混乱を謝罪し、条例改正案撤回を余儀なくされた。香港の騒動は台湾にも伝播し、2020年1月実施の総統選挙戦において、これまで対中融和路線の国民党の優勢が続いていたが、対中警戒感が高まり、「一つの中国」を認めない民進党側に追い風が吹きつつある。

トランプ政権は来る大阪G20サミットの際の米中首脳会談において、香港問題を議題にすると表明した。習近平政権は本来、中国の内政問題である香港問題を国際会議の議題とすることは、何としても避けたいはずである。中国の内政が国際世論の批判を受けることになれば、習近平氏の政権基盤を大きく損なう懸念がある。

●習近平政権の面子を維持しつつの一旦撤退作戦

習近平政権の一国二制度の形骸化策は、破たんしたといわざるを得ない。5月20日、長征の出発地を訪れた習近平国家主席は「今こそ新たな長征に出なければならない」と国民に呼びかけた。これをもって中国の徹底抗戦の意思を示したと報道されているが、むしろ逆であろう。長征とは形勢不利の中で一旦退却し、持久戦に切り替えて耐え忍び反転攻勢に転じた故事である。それを引き合いに出した意味とは、一時退却の正当化準備と考える方が自然であろう。

一旦撤退は、いま山場を迎えている米中通商協議においても言えることである。また米国サイドも、ムニューシン財務長官が、通商協議の進展次第で、ファーウェイに対する制裁を緩和する可能性を示唆した。米中双方の落としどころを探る瀬踏みが始まっている、と見るべきであろう。

村井教授は「中国が米国に勝つためには、米国民の損害許容限度を下げなければならない。しかし、米中戦争が米国民にとって偉大な米国を邪悪な敵から守る正義の戦いならば、米国民の損害許容限度は高い。他方拝金主義の国民が耐えられる損害の許容限度は低く、中国の方が先に許容限度を超えるだろう」と述べている。

このことを理解しているはずである習近平政権は、事態が深刻化する前に、面子を立てつつ、米中通商合意を演出するほかはないのではないか。

(2019年6月18日記 武者リサーチ 「ストラテジーブレティン227号」を転載)

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