デリバティブを奏でる男たち【93】 キースクエアのスコット・ベッセント(前編)
2024年の米大統領選挙で勝利したドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)前大統領は、米マクロ投資会社キースクエア・グループの創設者であるスコット・ケネス・ホーマー・ベッセント(Scott Kenneth Homer Bessent)を財務長官に指名しました。彼はトランプの大口の資金寄付者であり、トップクラスの資金調達者でもあります。ベッセントは2024年に入ってトランプと連携する政治活動委員会(Political Action Committee:PAC)の「Make America Great Again Inc.:通称MAGA」に75万ドル、「トランプ47委員会」に40万ドル以上、「Right for America」に10万ドルを寄付しました。また2024年2月、サウスカロライナ州グリーンビルで募金イベントを主催してトランプの選挙運動のために約700万ドルを集め、4月にはフロリダ州パームビーチでイベントを主催して5000万ドルを集めました。
トランプはベッセントを世界有数の「国際投資家、地政学・経済戦略家」の一人だと述べています。今回はこのベッセントが如何なる人物であり、キースクエアが如何なる投資会社なのかについてみていきましょう。
◆ウルフズ・ヘッド・ソサエティの会長
ベッセントは1962年に米サウスカロライナ州コンウェイで生まれました。彼は1687年に同州で教会を建設したフランス系ユグノー教会の「創立メンバー」の子孫だといいます。ユグノー教会はキリスト教プロテスタント(改革派) のカルヴァン派であり、トランプもカルヴァン派の一派である長老派教会(プレスビテリアン)のプロテスタントだといわれています。今回の財務長官指名が宗教上の一致によるものかは分かりませんが、もしそうだとすれば、キリスト教プロテスタント信者である日本の石破茂首相との関係が期待できそうです。
ベッセントはイェール大学に入学後、コンピューター・サイエンスから美術史へ進み、最終的に政治学へと専攻を何度も変えたそうです。また、在学中にウルフズ・ヘッド・ソサエティ(Wolf's Head Society)という大学協会の会長を務めていました。イェール大学では学生による秘密組織が幾つかあり、なかでもウルフズはスカル・アンド・ボーンズ、スクロール・アンド・キーと並んで「ビッグ・スリー」と称される存在です。
第26回で取り上げたファラロン・キャピタル・マネジメントの創設者トーマス・ファール・ステイヤー(Thomas Fahr Steyer、通称トム・ステイヤー)もイェール大学出身で政治学を専攻し、ウルフズに加盟していました。ステイヤーが大学を卒業したのは1979年であり、ベッセントが卒業したのは1984年ですので、ベッセントはステイヤーの後輩にあたることになります。ウルフズならびにステイヤーにつきましては、以下をご参照ください。
▼ファラロン・キャピタルのトム・ステイヤー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【26】―
https://fu.minkabu.jp/column/1421
◆ジム・ロジャーズからジョージ・ソロスへ
ベッセントはジャーナリストを志望していたらしく、イェール・デイリー・ニュースの編集者に立候補しましたが、その職に就けませんでした。仕方なく世界三大投資家のひとりであるジム・ロジャーズ(Jim Rogers)の投資会社でインターンに参加します。オフィスのソファに泊まる場所まで提供してくれることが彼には魅力的だったようです。卒業後は米最古の投資銀行であるブラウン・ブラザーズ・ハリマンに就職しました。その後にサウジアラビアの実業家ハーレド・スリマン・サレハ・アル・オラヤン(1918 -2006) によって創設されたオラヤン・グループを経て、第42回で取り上げたジェームズ・スティーブン・チェイノス(James Steven Chanos、通称ジム・チェイノス)率いるキニコス・アソシエイツ(現在のチェイノス・アンド・カンパニー)に転職します。
▼キニコス(皮肉屋)のジム・チェイノス(前編)―デリバティブを奏でる男たち【42】―
https://fu.minkabu.jp/column/1719
ベッセントは1991年にキニコスの主要顧客であり、もうひとりの世界三大投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)のソロス・ファンド・マネジメント(SFM)に移ることを決意しました。このときに彼をアナリスト兼投資マネージャーとして雇ったのが、第3回で取り上げたスタンレー・フリーマン・ドラッケンミラー(Stanley Freeman Druckenmiller)だったといわれています。ちなみに、ソロスは1973年にジム・ロジャーズとクォンタム・ファンドを設立しましたが、1980年にロジャーズはソロスと袂を分かちます。
▼クォンタムのスタンレー・ドラッケンミラー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【3】―
https://fu.minkabu.jp/column/965
その後にソロスは、1992年の「ブラック・ウェンズデー」と呼ばれるポンド危機で10億ドルを荒稼ぎし、「イングランド銀行を打ち負かした男」との異名を取ることになりました。当時の主要投資チームのメンバーには、ドラッケンミラーとともにベッセントの名前も挙がっています。
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証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。
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