デリバティブを奏でる男たち【47】 老舗マクロ系ファンド、キャクストン(前編)
◆あまり知られていなかった創設者の経歴
前回は伝説の商品ヘッジファンド、コモディティーズ・コーポレーションを取り上げました。今回はこのコモディティーズに在籍していたブルース・スタンリー・コフナー(通称ブルース・コフナー)によって、1983年に創設された老舗マクロ系ヘッジファンドのキャクストン・アソシエイツを紹介します。
第2回で取り上げたタイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソンは、クォンタム・ファンドのジョージ・ソロス、スタインハルト・パートナーズLPのマイケル・スタインハルトと並んで、1990年代におけるヘッジファンド業界の「ビッグ3」と称されるほどの人物でした。
加えてこの時代は、コフナーのほか、チューダー・インベストメント・コーポレーションを率いたポール・チューダー・ジョーンズ、ムーア・キャピタル・マネジメントを率いたルイス・ベーコンの3人が「ジュニア3」と呼ばれていました。
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/945
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/955
コフナーは、同じコモディティーズ・コーポレーション出身であるジャック・D・シュワーガーの名著『Market wizards(邦題:マーケットの魔術師)』で紹介されるまで、いかなるインタビューにも頑なに応じなかったため、その経歴はあまり知られていません。コフナーは1945年、ニューヨーク州のロシア系ユダヤ人家庭に生まれました。1953年にロサンゼルスへ移り、地元のヴァンナイズ高校に入学。生徒会長を務め、1962年からハーバード大学に通います。その後、ハーバード・ケネディ校で1970年まで政治経済の研究を続けましたが、博士号を取得しないまま退学。ピアニストやタクシー運転手、あるいは政策コンサルタントなどの職を転々とした後、1970年代の半ばに金融に興味を持ちます。そして、彼は自身の経済と政治の知識がトレードに最適だと気づいたようです。
およそ1年間にわたり債券のイールドカーブ(利回り曲線)を徹底的に研究。金利先物の限月間取引(カレンダー・スプレッド・トレード)などを始めました。イールドカーブとは、債券の利回りと償還までの期間との関係を示した曲線のことを指します。一般的に債券は償還までの期間が短い短期債の利回りは低く、償還までの期間が長い長期債の利回りは高くなりますので、横軸に期間、縦軸に利回りといったグラフでは右肩上がりの曲線を描きます。金利先物市場でも、期近物は期先物よりも利回りは低く(価格が高く)なりますが、もしも期近物と期先物の価格が同じであれば期近買い・期先売りの裁定機会が発生します。
このカレンダー・スプレッドを大豆市場でトレードしていた1977年に、品不足で大豆価格が急騰。その後は順調にスプレッドも縮小していましたが、ブローカーに説得されて期先の売りポジションだけを手仕舞った途端に価格が急落。評価益が一瞬にして半減してしまったため、期近の買いポジションも手仕舞うことになってしまいました。この軽率なトレードにより、コフナーはしばらく食事も喉を通らなかったほどの精神的なダメージを被り、リスク管理の重大さを学んだようです。
その後、コモディティーズ・コーポレーションのアシスタント・トレーダーの募集に応募しますが、政治や経済、あるいは金融に対する豊富な知識が評価されてアシスタントではなく、正規のトレーダーとして採用されます。同社ではマイケル・フィリップス・マーカスの下で修業しました。ファンダメンタルズとテクニカルを融合させたマーカスの手法を学び、コフナーはテクニカル分析も用いるようになります。彼によると、テクニカル分析は将来を予測するものではなく、過去を振り返る温度計のようなものであり、テクニカル分析をせずにトレードするのは、医者が体温を測らずに患者を診るに等しい、といっています。また、コフナーは後にタンカーを所有し、物流を通じて世界経済や商品需給を測る温度計としても活用していたそうです。
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証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。
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