デリバティブを奏でる男たち【92】 受け継がれるマーキュリーのDNA(前編)
前回は英国ヘッジファンドのゴールド・スタンダードとみなされていたランズダウン・パートナーズを取り上げました。その前の回では英国を代表するロング・ショート戦略のヘッジファンド、マーシャル・ウェイス・アセット・マネジメントについて触れました。この両者には多くの共通点があり、よく並び称されていたことは前回に触れた通りです。その共通点として挙げられるマーキュリー・アセット・マネジメントと、その親会社だった投資銀行のS.G.ウォーバーグを今回は取り上げたいと思います。
▼デリバティブを奏でる男たち【91】 ゴールド・スタンダードだったランズダウン(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2530
▼デリバティブを奏でる男たち【90】 マーシャル・ウェイスのマーシャルとウェイス(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2513
◆ドイツ系ユダヤ人の会社
英国を代表する株価指数のFTSE 100指数に採用されていた投資銀行、S. G.ウォーバーグは、ジークムント・ジョージ・ウォーバーグ卿(Sir Siegmund George Warburg、1902-1982)とヘンリー・グリュンフェルド(Henry Grunfeld、1904-1999)によって創設されました。ドイツ系ユダヤ財閥であるウォーバーグ家出身のジークムントは、ドイツ南西部のウーエンフェルス・キャッスルで育てられ、ウラッハ修道院のプロテスタント神学校で学びます。卒業後は叔父のマックス・モーリッツ・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg、1867-1946)が頭取兼パートナーを務めていたプライベートバンクのM.M.ウォーバーグで銀行見習いをしていました。
その後、ロンドンに渡り、ロスチャイルドの下で研修を受け、1934年にグリュンフェルドとともにニュー・トレーディング・カンパニーという銀行を創設しました。同社は1946年に社名をS.G.ウォーバーグに変更します。また、彼は1953年から1964年までの間、米国の名門投資銀行クーン・ローブ(1977年にリーマン・ブラザーズと合併)の共同経営者も務めていました。
共同創設者であるグリュンフェルドもユダヤ人としてドイツに生まれました。20歳の時に父を亡くし、家業である鋼管会社A.ニーダーシュテッターの経営を引き継ぐことになります。1934年にナチスに捕らえられますが、スペイン名誉領事としての地位を利用して強制収容所への移送を免れ、家族とともにロンドンに亡命しました。その後、手形割引業を営んでいましたが、ヨーロッパからの難民が母国からお金を引き出し、安全に投資するための手段が必要と考え、ウォーバーグとともに銀行を創設します。
S. G.ウォーバーグは1957年に、米老舗投資銀行J.&W.セリグマン(2008年にアメリプライズ・ファイナンシャル<AMP>が買収)のロンドンのパートナーシップであったセリグマン・ブラザーズを買収して名声を高めます。これによりS. G.ウォーバーグは、英中央銀行であるイングランド銀行の支援を受けた安価な資本にアクセスできる17の大手商業銀行のひとつになりました。
また、1959年のアルミニウム戦争もS. G.ウォーバーグを一躍有名にします。同社が助言した米レイノルズ・メタルズ(2000年にアルコア<AA>が買収)とチューブ・インベストメンツが、モルガン・グレンフェル率いるロンドン銀行家連合との激しい競争入札の末、ブリティッシュ・アルミニウムを買収しました。これによりウォーバーグは、英国での敵対的買収の先駆者となります。また、ウォーバーグは初めてユーロ債を発行し、1963年以降にユーロボンド市場を発展させた銀行として知られるようになりました。
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証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。
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