武者陵司「マイナス実質金利の下でのドル高進行」<後編>
※「マイナス実質金利の下でのドル高進行」<前編>から続く
(2) 2022年の大きなポジティブサプライズ、ドル高
●長期ドル高時代が継続中
2022年に大きく変化したことはドル高である。主要国通貨加重平均でみたドル指数、ドルインデックスは過去1年間で92から110へと19%上昇した。武者リサーチは一貫して米国のイノベーションの強さと長期ドル高トレンドを主張してきた(「コロナ時の一時的ドル安が終わり、2011年をボトムに始まった長期ドル高トレンドが続いていくことになる、と想定される。」(ストラテジーブレティン292号)が、それが実現している。
●ドル高が何重もの米国経済の支えに
このドル高が、(A)輸入物価引き下げによる米国内インフレの抑制、(B)米国人の対外購買力の増大、(C)米国への資金流入による米長期金利の抑制、となって何重にも米国経済を押し上げている。同じインフレ下ではあるが、1970年代の高インフレ時代のドル安とは正反対の経済効果をもたらしている。
●物価抑制、1割のドル高でCPIを最大1.3%押し下げる
インフレリスクに対してドル高は好都合、ドル高で輸入物価が安くなる。米国は年間2.8兆ドル(364兆円)の財輸入がある。前年比10%のドル高は2800億ドル(37兆円)の輸入価格低下効果をもたらす。そのすべてが米国輸入業者と米国消費者にもたらされるわけではない。しかし、米国の年間消費額は17兆ドルなので、それがすべて消費者物価に反映されると仮定すれば、消費者物価を最大限1.3%押し下げる(=実質購買力を押し上げる)効果をもたらす。
他方、ドル高のマイナスは米国企業の対外価格競争力の低下だが、いま米国企業が他国と価格で競争をしている品目は自動車などごくわずかである。大半は半導体製造装置など技術・非価格競争優位のある商品であり、ドル高になっても競争力が低下する恐れは小さい。GAFAMなど海外に競合企業がない場合、ドル高によるコスト上昇は現地販売価格の上昇で対応でき、その場合、米国の経常収支を改善させる。米国の巨額の財貿易赤字と大幅なサービス・所得黒字の推移をみると、ドル高は財輸入額をドルベースで大きく引き下げ、他方でサービス価格はドルベースで維持される可能性が強く、経常収支を大きく改善させていくだろう。
●米国覇権の秘密兵器ドル
「最も重要なことは、ドルが米国の秘密兵器であるかもしれないことである。ドルは時として米国の地政学的目的達成のために使われてきた。かつて対日、今後は米中対立の戦略手段としてドルが利用されるだろう。米国の喫緊の優先課題、中国排除のグローバルサプライチェーン構築にとってドル高は必須であると考えられる」(ストラテジーブレティン292号)。
ドル高は覇権国・米国にとって有利、かつ必須である。いま唯一の世界通貨ドルは、何の裏付けもいらず自由に印刷・発行できる米国の特権である。ただで印刷できるドルが強いなら、こんなによいことはない。
リスクは(1)ドル価値の減価=インフレ、(2)ドル基軸通貨の地位喪失の2つだが、当面その恐れはほとんどない。主要国の累積経常収支(≒対外累積債権債務)の推移をみると、米国のみが巨額の累積債務を続けていることがわかる。対米国債権が各国の支払い準備なのであり、米国は世界最大の債務国、イコール唯一の巨額の世界マネー供給国なのである。
●圧倒的米国力優位、特にイノベーションが顕在化
「何故、いまドル高なのか」だが、米国国力の圧倒的優位が鮮明になったから、と言うほかない。米国は世界最大の石油ガス産出国かつ純輸出国である。また、世界最大の穀物輸出国でもあり、エネルギー・穀物価格の上昇は米国にとってプラスである。製造業の衰退が強調されるが、先端産業での競争力は圧倒的である。中国を除く世界のインターネット・サイバー空間を米国のGAFAM5社が支配しており、その技術力イノベーションの力は他国を寄せ付けない。また、基軸通貨ドルを通して世界の金融を支配している。
ドル高になると、中国との経済格差、金融格差は開くことになる。主要国の名目GDP推移をみると、日本、ユーロ圏に続いて米国も中国に追い抜かれると信じられている。しかし、ドル高・人民元安が進行していくと、中国はいつまでたっても米国に追いつけなくなる。ドル高、人民元の減価が米中対立において米国を大いに有利化するだろう。
(3) 米国マイルドランディングが何故可能なのか
●堅調な米国ファンダメンタルズ
インフレはピークアウト、FRBは断固とした利上げによりインフレマインドのスパイラル拡大にキャップをかけた。ターミナルレート(利上げの最終到達点)は3%を超えていくが、そのもとでも米国景気は、雇用・投資・企業利益などが堅調でソフトランディングの可能性もある。実質賃金はマイナスだがコロナ禍の下で潤沢になった貯蓄と好調な雇用環境(給与・賃金)、財政政策の寄与により、消費は容易に失速しない。米国企業は10%近い増収が続き、賃金も上がるが企業の価格決定力も健在で、ドル高による海外利益の換算益減少を除き、利益率が大きく下がる要素はなく、高利益が維持されるだろう。
●FRBの市場フレンドリー傾向に変化はない
FRBのインフレ抑制優先によりオーバーキルが回避されるのかが鍵だが、長期金利が抑制されていることにより、金融緩和という手段を使える。イエレン財務長官が主張する高圧経済状態を維持するという戦略が生かされるのではないか。比較的タイトな労働需給が続き労働者の強いバーゲニングパワーが維持されることで、企業には労働生産性向上のインセンティブが与えられ、それはサプライサイドも強化する。
その場合、インフレ率3%へとターゲットをシフトする可能性もあり、FRBの市場フレンドリーという傾向は変わることはないだろう。となると、2022~2023年はリセッションの年ではなく、長期経済拡大の中で3~4年ごとに訪れた2013年、2016年のような、ミニディップの年になるかもしれない。
利上げ一巡、利下げが視野に入る2023年中には、米国株式は騰勢に転じるかもしれない。
(4)"米国衰退論"は誤り~世界の民主自由主義秩序は再構築される
●中ロの跳梁は"力の空白"を生んだ米国外交の失敗、米国力の低下ではない
この米国が衰退しつつある大国であるかのようなイメージで捉えられ、それを信じたプーチンがウクライナ侵略の暴挙に走り、習近平が覇権挑戦を試みたりしているが、それはシンプルに間違いである。
米国の地政学的プレゼンスの低下は、対テロ戦争が手詰まりになったことから始まった。オバマ氏が核廃絶を標榜し、世界の警察官を辞めると宣言したことで、「力による外交」を放棄したと誤解された。続くトランプ政権はアメリカファーストを唱えて自国中心主義に回帰し、昨年バイデン政権が何も得ないままにアフガンから撤退したことで、世界に大きな力の空白が生まれたことに疑いはない。習近平の南シナ海専横も、プーチンのウクライナ侵略も、それにつけ入ったものであることは明らかである。それは米国外交の失敗であるが、米国の力の低下によるものではない。
●ウクライナ戦争は世界リベラルデモクラシー秩序再構築の突破口に
ウクライナ戦争により、より大きな脅威が誰の目にも明らかになり、米国国内の保守派対左翼リベラルの対立は小異であることがはっきりした。今年11月の中間選挙などを経て、理想主義リベラルに偏った米国世論は再び現実主義に振れていくだろう。ドイツのパシフィズム(平和主義)からの転換、フィンランド、スウェーデンのNATO(北大西洋条約機構)加盟意向など、自由民主世界のベクトルも揃っている。力による現状変更を許さない世界秩序の再構築に向けて、かつてない求心力が高まるのは必至である。世界の自由主義秩序に疑問符を挟んだり、中ロのような米国衰退説を唱えることは、正しくないし、望ましい態度でもないことを強調しておきたい。(ストラテジーブレティン303号)
(2022年9月14日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン313号」を転載)
株探ニュース