需給の壺―債券の需給―【若桑カズヲの株探ゼミナール】

第12回:債券の需給
―公社債店頭売買高と長期国債先物の投資部門別売買状況―
市場価格を動かす本質的な要因は、需要と供給、すなわち「需給」に尽きる。経済指標や金融政策、地政学リスクといった政治情勢のほか、他の金融市場の動向など、しばしば価格変動の要因として語られる指標は、あくまで需給を変動させる「きっかけ」に過ぎない。本連載では、この「需給の壺(ツボ)」を読み解くことを目的とし、マーケットにおける需給の基本構造とその変遷を追いながら、未来への洞察を試みたい。
株式市場の需給構造を理解するうえで、債券市場の需給は脇役かもしれない。だが、見逃せない存在である。なぜならば、国債や社債の利回りは、市場の割引率を構成し、株式の理論的価格や企業の資金調達コストに直接的に影響を及ぼすからである。債券の需給が動けば、資産価格の配分が転換し、株式の需給にもインパクトを与える。したがって、債券市場の現物と先物の動向、さらには参加者別の売買構造を把握することは、株式市場の行方を占ううえで必要なことと考える。
◆現物債(店頭)市場の規模と特徴
日本における公社債の売買は、株式と同様に取引所を通じた「取引所取引」のほか、取引所を通さずに相対で取引する「店頭取引:OTC(Over The Counter)」の二つがある。しかし、公社債の銘柄の多さに伴う取引や事務の多様性、売買内容の複雑さなどから、取引所取引で希望する売買を成立させることは容易でなく、現物市場ではOTCが主流であり、取引所取引はほぼ存在しない。
一方、OTCでは価格公示機能を拡充するため、日本証券業協会(JSDA)が証券会社などの報告に基づいて、毎営業日、公社債店頭売買参考統計値を公表している。そのJSDAが公表する「公社債店頭売買高」は、OTCを通じた債券の流動性を示す代表的な指標であり、売買高は市場全体のリスク許容度や資金需給の強弱を如実に反映する。
店頭での取引は、主にディーラー間の相対取引や機関投資家の大口取引として機能する。OTC市場の売買高が増加する局面は、投資家がポジション調整を行っていることを示し、金利変動の震源となることがある。
「公社債店頭売買高」によると、2024年の日本の債券現物売買代金(売り買い合計)は、合計5京9606兆円であった(図1)。株式現物の売買代金が同2605兆円であったことを考えると、その市場規模の巨大さは圧倒的である。OTC市場で主に取引されているのは国債であり、売買シェアは83.3%に及ぶ。そのうち利付長期債が合計の3割弱、超長期債が3割弱、利付中期債が2割弱、残りが国庫短期証券等であった。
図1 日本の債券市場の種類別店頭売買(2024年売り買い合計)代金とシェア

出所:JSDA
◆投資主体別の売買傾向──誰が買い、誰が売るか
債券の需給は「長期の基盤需要」と「短期の流動性供給・需給変化」の2層構造で理解する必要がある。長期保有を旨とする年金勘定・保険会社は安定的な需給の「底」を形成しやすく、金利上昇局面でも短期的に売りに回らない傾向がある。
一方、投資信託や海外投資家、自己取引部門は金利期待やポジション調整で機動的に売買を行い、流動性を供給する一方、市場のボラティリティ(変動率)を増幅させる傾向がある。
同統計の投資部門別売買シェアを集計すると、海外投資家が約3割、自己(債券ディーラー)が3割弱、その後に商工組合中央金庫などのその他金融機関、信託銀行が続く(図2)。ここでも海外投資家が主流だが、約7割弱を占める株式市場ほどのシェアはなく、国内勢も活発に売買している。ちなみに、種類別店頭売買の合計と投資部門別の総計が必ずしも一致していないのは、四捨五入による集計のためである。
図2 日本の債券市場の投資部門別店頭売買(2024年売り買い合計)代金とシェア

出所:JSDA
※1の詳細は以下の通り。
みずほ銀行、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行、SBI新生銀行、あおぞら銀行。
※2の詳細は、官公庁共済組合、事業法人、その他法人。
※3の詳細は日本銀行、政府、地方公共団体、官公庁の外郭団体など。
先物市場に目を転じると、需給の規模や構造は大きく異なる。債券の先物は取引所で長期国債先物が取引されており、現物国債に対する価格発見とヘッジ手段を提供する。海外投資家や金融機関のプロップ(自己売買)取引、裁定取引が大きな比重を占めるため、先物で観測されるポジションの変化は現物の需給へ短期的に波及しやすい。先物建玉の増減と現物の受け渡し需要(決済やヘッジ解消)は、金利の瞬間的な変動を招くことがある。
日本取引所グループ(JPX)の先物統計で、2024年の長期国債先物の売買代金(売り買い合計)は4094兆円であった(図3)。現物市場に比べて7%程度の規模しかないが、同4335兆円であった株式先物市場に匹敵する規模である。投資部門別の売買シェアをみると、現物市場と異なり、海外投資家が7割以上を占め、続いて自己が2割弱となっていた。先物市場では、債券も株式と同様に、海外投資家が非常に強い存在感を示している。
図3 日本の長期国債先物の投資部門別売買(2024年売り買い合計)代金とシェア

出所:JPX
※金融機関の詳細は生保・損保、都銀・地銀等、信託銀行、その他金融機関。
◆債券市場の現状が示すシグナル
需給動向から債券の将来を洞察する際、市場規模を考えれば、現物市場をみるべきであろう。しかし、現物市場のデータであるJSDAの「公社債店頭売買高」は毎月20日に前月分が公表される一方、先物市場のデータであるJPXの「投資部門別取引状況」は毎週第4営業日に前週分が公表される。データ更新の頻度や速度を考えれば、先物市場の観測が優先されるであろう。ただし、同市場は海外投資家の売買シェアが7割以上であり、需給構造としては「長期の基盤需要」ではなく、「短期の流動性供給・需給変化」をみることになる。
図4は、長期国債先物市場における海外投資家の売買を2024年の第1週から累積したデータと、10年国債利回りの推移を比較した。海外投資家は2024年春に大きく売り越し、金利は上昇を続けている。2024年7月に日本銀行が予想外の利上げを実施したことから、一旦買い戻しを行ったものの、マーケットが落ち着くとともに再び継続的な売りを続けた。2025年4月には、トランプ米大統領による相互関税問題に端を発するリスク回避の債券買いを受けて、金利は低下する。しかし、この場面では海外投資家は大きく買い戻しておらず、その後も売買を繰り返しながら売りポジションを積み上げ、これに合わせて金利の上昇も続いている。
足元では先物累積売り越し額が2024年半ばの水準にまで高まっているが、物価上昇に沿った金融政策の動向が大きく変化しない限り、海外投資家は今後も金利上昇の継続を見込んでいくのだろう。ただし、債券を保有していない海外投資家が売る場合、債券を借りて売ることになる。2025年6月末時点で日本国債の約51%を日本銀行が保有しており、10年国債に至っては約4分の3を日本銀行が保有している。つまり、海外投資家の売り崩しによる金利急騰を避けたい日本銀行から債券を借りて売ることになるケースがほとんどとみられる。そのため、売り越し額にはどこかで上限が想定されるほか、金利急騰時は何らかの制限が日本銀行から課せられる可能性がある点は留意しておきたい。
図4 金利上昇の継続を見込む海外投資家

出所:JPX、財務省
◆債券動向が株式へ与える伝達経路
金利が上昇すれば、まず将来の企業利益の割引率が上がるため、配当割引モデル等の株式理論価格は下落圧力にさらされる。次に、借入コストの上昇は設備投資や利益率に直結するため、特に成長期待が多く織り込まれているハイテク・グロース株にとっては逆風となる。さらに、金利の上昇はセクター間で明確な勝ち負けを生む。金融セクターは利ざや拡大を享受する一方、負債比率の高い公益事業や不動産関連のセクターなどは逆風を受けやすい。したがって、株式投資家は債券市場の需給変化を踏まえて、セクター・ローテーションを検討することが求められる。
債券市場は「静かなる決定者」である。表面上は目立たないが、あらゆるリスク資産の評価基準を変える力を持つ。債券市場の需給動向を読み解くことは、今後のマーケット・ナビゲーションにとって有益なことであるし、債券の需給を無視して株式の長期的方向を語ることは危険でもある。今後もJSDAやJPXが公表する月次・週次データを継続的に監視し、需給の変化を先回りした戦略構築が求められるであろう。(第13回に続く)
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。
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