需給の壺―流動性の需給①―【若桑カズヲの株探ゼミナール】

第17回:流動性の需給①
―なぜ株価は下がらないのか。市場が本当に見ているもの―
市場価格を動かす本質的な要因は、需要と供給、すなわち「需給」に尽きる。経済指標や金融政策、地政学リスクといった政治情勢のほか、他の金融市場の動向など、しばしば価格変動の要因として語られる指標は、あくまで需給を変動させる「きっかけ」に過ぎない。本連載では、この「需給の壺(ツボ)」を読み解くことを目的とし、マーケットにおける需給の基本構造とその変遷を追いながら、未来への洞察を試みたい。
今回は、現代の金融市場において決定的な意味を持つ「流動性の需給」に着目する。その基本構造と変遷を整理しながら、いま市場で何が起きているのか、そして次に何が起こり得るのかを読み解いていく。
株式市場を日々観察している投資家であれば、いま共通する違和感を抱いているはずである。「これだけ不安材料が揃っているのに、なぜ株価は下がらないのか」という疑問である。年初から米国は、ベネズエラで軍事作戦を展開して大統領夫妻を拘束し、グリーンランド領有に改めて意欲を示して欧州と対立した。イランでは抗議デモに対する弾圧が強まるなど、地政学的リスクは燻り続けている。
金融市場に目を転じれば、米国は市中金利が高止まりしたままで、実質金利もなお高い水準にある。世界景気に敏感な日本経済ではデフレ脱却が語られる一方で、インフレによる実質購買力の低下が個人消費を抑え、実質賃金はなお回復途上にある。中国経済の減速懸念も、解消されたとは言い難い。
それにもかかわらず、株式市場の上昇基調は大きく崩れていない。2026年初頭の日米株式市場は、多少揺れても依然として高値圏で推移している。この状況を前に「市場は楽観に過ぎる」「いずれ必ず調整が来る」と懸念する投資家は少なくないだろう。しかし、問題は、その"正しそうな悲観"が、これまで結果を伴わなかった点にある。理屈は正しいように見えても、相場は下がらない。この感覚のズレこそが、現在の市場環境の本質である。
図1 日経平均株価の推移(日足)

図2 ダウ工業株30種平均の推移(日足)

◆ファンダメンタルズでは説明しきれない相場
株式投資において従来、企業業績や経済成長率、金利水準といったファンダメンタルズが株価を規定すると考えられてきた。この枠組み自体は否定されるものではない。しかし、近年の相場は、ファンダメンタルズだけでは説明が難しい局面が常態化している。
例えば、日本の上場企業の2025年度業績は減益見通しであるにもかかわらず、日経平均株価の株価収益率(PER)はおおむね20倍前後と、かつては考えにくかった水準まで上昇している。米国株の株価指数のPERはさらに高く、10年国債利回りは4%台と高止まりしている。それでもなお、主要株価指数は史上最高値圏にある。
これを「投資家心理」や「期待先行」と説明することは可能だが、それは結果を言い換えただけに近い。より本質的な要因は、市場に流れ込んでいる流動性、すなわち貨幣の量と、その行き場にある。個別銘柄の需給ではなく、「流動性そのものの需給」を見る必要があるのだ。
市場価格は、需給で決まる。これは教科書的な原理である。ただし、現代の金融市場において投資家が注視すべき需給は、個別銘柄レベルにとどまらない。市場全体を覆う「流動性の需給」が、株価の大局的な方向を決定づける局面が増えているからである。
流動性の需給は、個別株のような単純な価格形成過程を辿らない。それは常に他資産、あるいは他国通貨との相対関係の中でのみ顕在化する。流動性が過剰になれば、貨幣価値の下落としてではなく、株式や不動産といった資産価格の上昇、すなわちインフレとして可視化される。この「鏡合わせ」の構造こそが、流動性を見えにくくし、同時に市場への影響力を大きくしている。
◆いま市場で起きている決定的な変化
2026年初頭の市場環境を理解するうえで、最も重要なのは米金融政策のフェーズ転換である。
米連邦準備制度理事会(FRB)は2022年以降、量的金融引き締め(Quantitative Tightening、QT)を通じて市場から流動性を吸収してきた。2022年の株価下落や、2023年にかけての不安定な相場の背景に、このQTがあったことは疑いない。
しかし、2025年末を境に、流動性政策の流れは明確に変わった。QTは2025年12月で終了し、FRBは準備金管理を目的とした毎月400億ドル規模の国債購入を再開したのである。
この政策転換の背景には、流動性需給の逼迫があった。QTが続けば流動性が減少するのは当然だが、そこに米国政府の財政逼迫が重なった。政府の資金調達が市場から流動性を吸収し、市中銀行の準備金は減少した。その結果、短期金利市場では誘導目標金利を恒常的に上回る状態が続いたのである。
2019年にも、同様の事態が起きている。流動性需給の逼迫により、短期金利が一時10%を超える水準まで急騰し、資金ショート寸前に追い込まれた。FRBは緊急の米連邦公開市場委員会(FOMC)を開催し、約5000億ドルの資金供給を余儀なくされた。
今回は同じ失敗を繰り返さぬよう、資金需要が高まる2025年の年末を前にQTを終了し、わずか2週間後には流動性供給を再開した。このスピード感は、FRB自身が「吸収し過ぎた」ことを強く意識していた証左とも言える。
パウエルFRB議長は「十分な準備金供給を維持し、政策金利の効果的な管理を支えることのみを目的としている」と説明し、「これらの問題は金融政策スタンスとは別であり、如何なる影響も及ぼさない」と強調した。しかし、市場に供給される貨幣量という観点では、これは明確な緩和方向である。量的引き締めから量的緩和(Quantitative Easing、QE)への転換が、実質的に起きたのである。
◆投資家が見落としがちな視点
FRB議長がどう説明しようとも、流動性が供給される局面では株価は下がりにくい。これは理論ではなく、過去のデータが示す事実である。FRBのバランスシートから算出される「純流動性」は、ダウ工業株30種平均やS&P500種指数といった主要な米株価指数と極めて高い相関を持つ。この指標が増加している間、株式市場は多少の悪材料では崩れない。
現在、まさにその環境にある。企業業績の減速懸念や地政学的リスクが存在しても、流動性が市場に供給されている限り、調整は限定的になりやすい。この局面で「いつ暴落するか」だけを考えることは、投資判断を歪めかねない。本当に問うべきは、「なぜ今は下がらないのか」「その前提条件は何か」である。
多くの投資家はニュースや経済指標に反応する。しかし市場は、それらを織り込んだ先の、さらに深い要因―流動性の需給―によって方向づけられている。流動性相場では、「正しい悲観」は必ずしも報われない。むしろ、流動性の存在を無視した悲観こそが、最大のリスクになり得る。
もっとも、流動性供給は永続しない。今回も2026年4月が一つの節目になっている。流動性の需給構造を理解することは、「いま相場がどの局面にあるのか」を見誤らないための最低条件と言えよう。
2026年初頭の株高は、単なる楽観や期待の産物ではない。その背後には、中央銀行が供給する流動性という明確な構造が存在する。では、その流動性はどの経路を通じて市場に流れ込み、どの段階で効力を失うのか。また、「流動性が増えていないのに株が上がる」局面は、なぜ生じるのか。次回は、流動性が株価に作用するメカニズムを具体的に詳解する。(第18回に続く)
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。
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