武者陵司 「米中貿易戦争の全体像を探る」【後編】

市況
2018年6月30日 7時30分

―功を奏すトランプ政策と貿易摩擦の行方(勝ち組、負け組)―

武者陵司(株式会社武者リサーチ 代表)

(5) 貿易摩擦正当化の経済学

●なぜ自由貿易論は問題なのか

国民経済は世界経済のサブシステムになり、世界経済は一つになった。地球は著しく小さくなり、国際分業が世界を覆っている。その中で価値観の分裂が起こっている。

第一の価値観はグローバルな自由放任主義は万人にとって良いことで、自明のトレンドであるとの見方、第二はグローバルな自由主義は強者の論理、収奪の手段であり現実には通用しない論理であるという見方。トランプ政権の保護的貿易政策に対する批判は前者の自由貿易礼賛に結び付いている。しかし、それは時代遅れで、現実には適合しない議論であることを以下の論述で知っていただきたい。

以下拙著「新帝国主義論」(東洋経済新報社、2007 年)第三章(P173~P180)より。

自由貿易、レッセフェール礼賛には本質的な疑問がある。第一は理論上の問題。そもそも比較優位国際分業をベースとした自由貿易論は時代遅れの議論であり、それでは現実を説明できないばかりか、時には資源の最適配分と最大成長を阻害するということである。アカデミズムでは既に説得力を失っている論理である。

第二は実践上の問題。自由貿易を前提としたグローバリズムの弊害の発生と、それに対する批判の高まりがある。

牧歌的な自由貿易の理想主義が熱狂的支持を得ている時に、経済理論としての比較優位説が殆んど有効性を失っていることは皮肉であり、また問題含みでもある。そもそも比較優位説が前提としていた諸条件が変わってしまっているのである。

第一に比較優位説の前提に立てば、同質の資源や技術の存賦状況にある先進国の間では貿易は起こらないはずなのに、現実には先進国間の貿易は増大している、第二に今日では資本移動、人為的資本コスト操作、更には技術者の移動もあり、生産要素の存賦状況が大きく変化する、つまり比較優位を成り立たせる前提は容易に崩れうるのである、第三に貿易が拡大しても著しい賃金格差は縮小せず、要素費用はもはや均等化していかない、つまり貿易が各国間の生産要素の価格差を、取引を通じて平準化させるという、単純な図式化は通用しない(注へクシャーオリーンの原理の説明力なくなる)、などである。(注1)

つまり、自由貿易は予定調和的均衡と最大効率を必ずしももたらさず、比較優位は人為的に作り出すこともできるのである。

●軽視できぬ自由貿易がもたらす損失

こうしたことの結果、自由貿易の世界においても、どの産業に特化するかによって大きな優劣が発生してしまう。

リカードが比較優位の原則を想定した18世紀の場合、農業を主とする収穫逓減産業が中核産業であった。しかし、工業が経済の主体となり追加的な費用投下がより大きなリターンをもたらす収穫逓増産業が産業の中核に座るようになると、自由貿易が相互互恵の効果をもたらすとは限らなくなる。農業や技術・資本集約度が低い工業の場合は既存の生産地に新たな資本を投下しても、得られる追加的リターンは低下する、故に産業集積は起こらない。

しかし、技術集約度、資本集約度が高まり産業が立地するための条件として、人的なネットワークが必要となったり、多くの装置が必要で固定費が高くなったり、独占・寡占により価格支配力が維持される場合、限界収穫は逓増する。つまり、追加的資本投下はより高いリターンをもたらす。その結果、特定地域での産業集積が大きく進展することとなる。シリコンバレーの半導体、IT産業の集積、デトロイトの自動車の集積、日本列島のハイテク・資本財の集積、ロスアンゼルスのエンターテイメント産業の集積、ロンドンシティーやボストンの金融産業の集積など世界一産地化が進行する。そうした産業集積の存在を所与とすると、牧歌的な、均等な条件の下での比較優位の国際分業理論は成り立たなくなる。

と同時に、自由貿易によって損失をこうむる理論的可能性、が否定できなくなってくる。冨浦教授はグラハムの着目に、注意を喚起して以下のように主張する。「収穫が逓減する産業では、貿易によって市場が拡大しても生産効率が上がることはないが、収益逓増産業に特化すれば、貿易によって生産量が増えるにつれて効率も上昇していくと言う非対称性が存在している。生産効率が所得水準に結びついていけば、この非対称性は、国の豊かさの格差拡大をもたらす。つまり収穫逓増に特化した国はラッキーだが、収穫逓減に特化した国は国際社会で相対的に貧しくなり不運ということになる。」(注2)

全く資源や技術水準が同等の二国間では比較優位は存在せず、リカードの前提に立てば、貿易は起こらない。しかし、それぞれがお互いに異なる産業に特化しあえば、規模のメリットが発生し、より低いコストの生産が可能となり、お互いに低いコストの商品を貿易することで、メリットが現われる。

問題はどちらの国が収穫逓増の工業を取り、他方が収穫逓減の農業を分担するか、と言うことである。一度農業に特化してしまうと、工業を自力で振興するよりも相手国から輸入するほうが安上がりとなり、農業の特化が更に進み、停滞の道を歩むことになる。それを避けるには自由放任主義ではだめで、早い段階で政府が介入し工業への特化を誘導しなければならない。中南米では、西欧列強の意図的な政策介入によって工業化の芽がつまれ、収穫逓減の農業に特化させられた、との見方がある。(注 3)

20世紀初頭、世界最高の所得水準にあり、有数の経済大国であったアルゼンチンがその後100年間、長期停滞の道に入ったのは、農業特化の後遺症によると考えられている。こうなると、自由貿易、比較優位の原則の裏に潜む強者の論理、強者の偽善と言う側面も無視できなくなるわけである。

●第二の天性を重視する新貿易理論の誕生

古典的自由貿易論の限界に対して、1980年代クルーグマンの提起した新貿易理論は、国際分業と貿易発生の原因を、産業の地域集中がもたらす規模のメリットによってコストが低下すること(つまり収穫逓増)に求めた。そして、特定地域に産業集積をもたらすものこそ、神から与えられた天性ではなく、後天的な第二の天性である、と考えた。

第二の天性とは、偶然や政策などによって事後的に備わった特性であるが、それはあたかも遺伝子のごとく、最初は小さなものであっても、将来の発展を運命づけるものである。何が産業集積を導くきっかけになるか、シリコンバレーにはスタンフォード大学の存在と優秀な技術者を魅了する素晴らしい天候、自然があった。インドのバンガロールの場合、政策が決定的であった。デトロイトの場合には、自動車産業の創業者ヘンリー・フォードの故郷と言う偶然が自動車産業の地域集積をもたらした。そして、どの場合にも最初の一滴が重要であった。(注4)

それはつららの形成と良く似ている。冬になると北海道などの寒冷地では雨どいから大きなつららが垂れ下がるが、なぜ特定のポイントからだけつららが成長するのだろうか。それは、最初の一滴がそこから落ちたため、としか言いようが無い。雨どいに何か小さなゴミが付着していたためそれに伝わって、水滴は下落したのかもしれない。また、ペンキの塗り方が不均等で凹凸ができていたためかもしれない。何かの理由で最初の一滴が決まり微小なつららが形成されると、二滴目は必ず同じ地点から落ちる。三滴目、四滴目と続いてつららは成長することとなる。やがて大きなつららが形成されるが、それは最初の微小な一滴がどこから落ちたのか、で全て決まってしまう。

集積の履歴効果が更に効率を高め、競争力を一段と強める。クルーグマンはハイテクのシリコンバレー、航空機のシアトルはたまたまルーレットが止まったところと称しているが、最初の一滴が、いわゆる外部性(externality)を著しく高め、企業同士や労働者、技術者が近接して立地するメリットをより大きくする。

このように事後的な力が最初の一滴をもたらし将来の運命を決めるとなると、自由貿易ではなく管理貿易、通商政策、産業育成策などの政府の介入も時には必要となる。第二の天性を政府が介入によって付与する意義は大いにある、と言うことになる。また、逆から見れば、一旦競争力を喪失し、つららが融けた後では、その産業への再参入、つまりつららの再構築は著しく困難となるので、円高で赤字でも歯を食いしばってがんばるということにもなる。それは為替調整を非力にする一因となる。

また、日本の系列(長期的取引関係)も長年蓄積した外部経済性という観点から見ると、存在意義も正当化されるかもしれない。目先では割高であっても系列内からの商品調達によって、品質、納期、リスクヘッヂなど、長期的利益を享受する行動は、(自由主義、市場至上主義によっては正当化できなくても)経済合理性があると言える。

一連の議論は、市場メカニズム、つまり市場による最適資源配分には限界がある、と言うことを示すものである。

●攻撃的戦略的通商政策、アメリカのダブルスタンダード

こうして自由貿易の限界が理論的に明らかにされ、1980年代後半の米国では新たな政策のパッケージ戦略的通商政策が生み出された。それは新貿易理論が生み出した帝国主義的政策で、アメリカダブルスタンダードと攻撃性を色濃く持つものである。

ブッシュ父政権でCEA(経済諮問委員会)議長をつとめた徹底的自由主義者のマイケル・ボスキンは「ポテトチップもマイクロチップも政府にとっては同じ」と発言し、大きな反発を受けたのも当然であった。素朴な比較優位が機能する自由市場は存在していない。

とりわけ1990年代前半のアメリカは日本の強力な産業競争力のチャレンジを受け、貿易赤字は増加し、カラーテレビ、VTR、半導体、自動車など米国が主役であった産業で次々に日本企業に主導権を奪われていた。米国はそうした事態を、容認できなかった。日米半導体摩擦などでは米国は強硬な介入を見せた。補助金による特定産業の支援や保護的関税が超過利潤をもたらし、当該産業の国際優位を作る。また、保護関税に加えて、外国の保護主義是正、外国の市場開放要求の手段として、管理貿易が正当化された。包括通商法、スーパー301条の報復条項、反ダンピング法、日米構造協議、日米半導体協定による輸入数値目標、結果主義、ユニラテラリズム(単独主義)、輸出自主規制要求などがそれである。

これらが戦略的通商政策と総括されるものであるが、その特徴は攻撃性にある。保護主義の場合、それを求める主体は国内の競争力劣位企業であり純粋に防御であるが、1990年代のアメリカの戦略的通商政策の場合、国際展開を狙う競争力の強い多国籍企業が要求主体であり、要求も財のみならずサービス、知的財産権の保護など多様な分野で多くの手段を用いて、アメリカ企業の海外展開をプッシュすると言う攻撃的性格を持っていた。(注5)

さて、1990年代の後半から2000年代に入り、インターネット革命、金融におけるアメリカの圧倒的プレゼンスなどにより、通商政策への関心は急速に薄まった。圧倒的比較優位産業が育ったことで、アメリカは牧歌的自由貿易のスタンスに戻ったように見える。アメリカ自動車ビッグスリーのうちクライスラーはダイムラーベンツに買収され、GM、フォードは経営危機に直面しているが、アメリカ当局は静観の構えである。戦略的通商政策も、どの産業を選ぶかに恣意性が入ること、政策の効果測定が困難なこと等の批判を受け、開店休業状態である。

しかし、戦略的通商政策の遺産は大きい。貿易相手国の市場開放、規制緩和、知的財産権保護、自由主義慣行の推進などを一段と強く求めることが当たり前となっている。それは論理矛盾である。相手国に対しては市場開放、自由主義を求め、米国企業の活動範囲拡大を追及するが、他方で自国においては自由貿易の弊害を認識しており、時には政府による介入が必要になることを承知しているのである。

いわば先端的諸産業で多くの最初の一滴を保有し、収穫逓増産業を多く抱えている状態で、(それを知りつつ)収穫逓減産業の下でしか存在しない牧歌的自由貿易論の正当性を主張しているのである。その手管は、自由貿易論からではなく戦略的通商政策の下で練られたものである、とするなら、それは頭巾をかぶった狼にもたとえられるかもしれない。アメリカは意図的かどうかは不明だが、ダブルスタンダードを持っている。

リストが主張した、「イギリスの目的は、つねに他国民のいかなる競争も凌駕するほどに工業、商業を発展させ、これによって海軍力と政治力を強化することにあり、時と場所に応じて、自由主義を用いたり、力や金を用い、自己の利益のために自由を抑圧したりしてきた」という覇権国観測は、今日のアメリカにぴったりと当てはまるように見える。これぞ帝国主義の政策と言うべきであろう。

(注1) 冨浦英一(1995 年)『戦略的通商政策の経済学』日本経済新聞社、第二章戦略的通商政策の登場、参照。

(注2) 冨浦(1995 年)前掲書

(注3) 冨浦(1995 年)前掲書 P105

(注4) Krugman.Paul,(1991 年) “Geography and Trade” The MIT Press、邦訳は北村行伸・高橋亘・妹尾美紀『脱「国境」の経済学』東洋経済新報社 1994 年参照

(注5) 冨浦は(1995 年)前掲書 P53 から P60 において、貿易理論を、貿易に対する態度と政府介入に対するポジショニングで分類すると、以下の四類型となるとしている。(1)重商主義⇒貿易重視、政府の介入甚大、(2)自由貿易主義⇒貿易重視、政府の介入否定、(3)保護主義⇒貿易抑制、政府の産業政策など介入容認、(4)戦略的通商政策⇒貿易重視 政府の介入の容認、特に相手国に市場開放などを要求、となる。

(2018年6月27日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン201号」を転載)

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