武者陵司「なぜ、大きな政府が必然的なのか」<後編>

市況
2021年7月14日 10時00分

※武者陵司「なぜ、大きな政府が必然的なのか」<前編>から続く

(3)大きな政府を必然とする要因、(B)潤沢な貯蓄と需要不足

コロナパンデミックが起きる前から世界経済は、「物価低下圧力=需要不足」と「金利低下圧力=金余り」という2つの問題を抱えていた。先進国経済の3分の1で長期金利がマイナスに陥るという異常事態にあった。また、デフレによる経済成長の下方屈折という危機が進行していた。

需要不足はグローバリゼーションの進展とインターネットAI(人工知能)ロボットによる技術革命により生産性が押し上げられ、供給力が高まっていたために引き起こされた。金利低下は民間(特に企業と富裕層)の高利潤が遊んでいるために引き起こされた。つまるところデフレ圧力と異常低金利は、尋常ではない貯蓄(=購買力の先送り)と需要不足によってもたらされた。

そうした環境は、ケインズが直面した1930年代の世界大恐慌下の経済状態と類似している。金利低下が臨界点に達し貨幣選好が極端に進み、金融政策が無能化する「流動性の罠」が典型的症状である。当時と同様、財政による需要創造が強く求められる場面と言える。よって、コロナパンデミックが起きようと起きなかろうと、財政と金融双方の拡張政策で余っている資金を活用し、需要を喚起することが必要であった。財政節度という今の時代に全く適合していない呪文から解き放たれることは、本来最も必要なことであった。

大恐慌が「ゆりかごから墓場まで」の近代的社会保障制度の起点になったように、コロナパンデミックが社会的セーフティーネットの飛躍的拡充、ユニバーサル・ヘルスシステムの登場、ユニバーサル・ベーシックインカムの時代を開くかもしれない。財政赤字の処理、大膨張する中央銀行信用の処理、中央銀行の独立性の維持など、多くの懸念が指摘されるが、コロナ危機終息の後になってみなければ本当に問題であるかどうかわからない。むしろ、成長の加速が問題をおのずから解消するという可能性の方が大きいのではないか。

これまでの経済常識の観点から、空前の財政赤字はモラルハザードを引き起こし、インフレや金利上昇など禍根を残すとの批判が語られている。しかし、現実は全く逆ではないか。レーガン・サッチャー以降の新自由主義の時代においては、供給力不足と貯蓄不足が経済のボトルネックであり、インフレが最大の経済リスクと考えられていた。故に新自由主義の経済学はサプライサイドの強化に注力するサプライサイダーであった。しかし、ここ10年来の世界的な低金利は、貯蓄が豊富で、需要が慢性的に弱いことを示している。ということは、財政赤字がダメージをもたらすことはなく、むしろ必要であるというべきなのかもしれない。経済学と経済政策の軸が明らかにデマンドサイドにシフトしつつあるといえる。

経済学者でもあるイエレン米財務長官は「歴史的低金利の現在、大規模な経済対策は雇用と経済成長を加速し、恩恵がコストを大きく上回る」と主張し、米国の大半のエコノミストの支持を得ている。これまで貯蓄不足を懸念し財政赤字を厳しく批判してきたIMF(国際通貨基金)、世銀などの国際機関も主張を大きく転換させている。

イエレン次期財務長官の宣言は、異端視されてきた(Modern Monetary Theory)などの議論をワシントンの政策中枢に招き入れたものと言ってよいだろう。

金融・財政レジームとは昆虫の殻に例えることができよう。技術と生産性向上に伴う経済実態の拡大に、古い殻である旧金融・財政レジームが対応できなくなると、新しいレジームが登場する。金本位制に縛られた通貨増発の制約が1929年からの世界大恐慌を引き起こし、管理通貨制度への変態が余儀なくされた。また、1980年前後の米国不況は、ドル金交換停止によって可能となった世界通貨ドルの増刷(レーガノミクス)で回復し、それが新ブレトンウッズ体制(全世界管理通貨時代)に帰結した。

米国の歴史を振り返れば、米国経済の盛衰、NYダウ工業株の100年の趨勢が、金融レジーム(=紙幣増刷メカニズム)によって変転してきたことが明白である。

実質NYダウ(NYダウを物価指数で除したもの、購買力としての株式価値を示している)には、過去100年間で3つの大幅な上昇の波があり、今第4番目の上昇のただ中にある。

3つの波とは、以下の通りである。

1)1910~1920年代(金本位制の下での古典的自由主義体制下での上昇)

2)1950~1960年代(各国管理通貨制度→国内紙幣増刷体制の下でのケインズ経済体制下での上昇)

3)1980~1990年代(世界管理通貨制度→ドル散布体制の下でのグローバル新自由主義体制下での上昇)

そして、今、2010年から4つめの波となる新たな上昇が始まっている。それはQE(量的金融緩和)という紙幣発行の新しい仕組み、株式などの市場の許容度に即した通貨発行手段を用いた、市場本位制度とも考え得るものである。これは政府部門による需要創造を推進力とする新グローバル・ケインズ体制とでもいえる仕組みになっていくのではないか。

FTPL(物価水準の財政理論=シムズ理論)、MMT(Modern Monetary Theory)などの財政出動を正当化する理論が台頭しているのは、まさしく金融緩和と財政政策の2つのエンジンによる需要創造が必須・適切な時代の到来を示唆していると考えられる。日本の初期のアベノミクスやトランプ氏によって財政金融総動員のマクロ政策が開始されたが、バイデン氏とパウウェルFRB議長による財政金融一体緩和政策は『新ケインズ政策』を全面展開させるものと言える。

(4) 大きな政府を必然とする要因、(C)ハイテク産業競争には国家支援が不可欠

現在のハイテク・ 半導体・ソフトウェアなどの先端分野では、自由貿易の原則が通用しないことを認識しておく必要がある。ハイテクなどの先端分野のコストの圧倒的部分は過去投資の累積額(R&D投資、販売網構築、事業買収)であり、賃金・インフレ・為替などマクロ経済要因が影響力を及ぼす変動費は微々たるもの、マクロ政策調整が全く効かない。一旦ハイテク強国になってしまえば、どんなに通貨高、賃金高になってもその競争力は奪えなくなる。これは履歴効果と呼ばれ、収穫逓増の原理が働く世界である。つまり、「Winner takes all」となり容易には破壊されない。国家資本主義の中国においては、国家的プロジェクトによるハイテク企業育成のパワーは、ファーウェイの急速な台頭に見るように絶大である。中国の極端な重商主義が圧倒的に有利に働いたため、対抗するにはトランプ政権が通商摩擦を引き起こす必然性があった。が、それでも不十分であり、バイデン政権は国家ぐるみの産業育成に乗り出しつつある。

今やファーウェイの強さは普通の市場競争では全く抑えられないところに来ているが、ファーウェイの台頭は中国の国家関与の好例であろう。なぜちょっと油断している隙にこんなことになったのだろうか。ファーウェイの圧倒的開発投資に原因がある。過去10年間にファーウェイの研究開発投資は10倍(2009年19億ドルが2019年189億ドルへ)になったが、この10年間、他企業(ノキア<NOK>、オラクル<ORCL>、シスコ・システムズ<CSCO>、エリクソン)はほぼ横ばいという驚くべき実態がある。このファーウェイの圧倒的研究開発投資は国策による支援があったからとしか考えられない。政府支援の下で圧倒的価格競争力を持ったファーウェイが、市場価格に基づく高コストの他企業を圧倒し、通信機産業全体の企業収益を破壊し、他者が全く対抗できない事態を引き起こしたことは明白である。国家資本主義によるソーシャルダンピングの典型例と言える。米国政府内では国産通信機企業育成の可能性が検討され、シスコなど関連メーカーにエリクソン、ノキアの買収、あるいは資本参加を呼び掛けたが、シスコなどの米国メーカーは、それら企業は低収益でとてもではないが買収対象ではないと断ったと伝えられる。

とうとう米国政府は世界最強の5G関連設備企業に飛躍したファーウェイを締め出すのみならず、他の多くのハイテク分野でも中国排除を推進し、中国を排除した新たなグローバルサプライチェーンの構築を進めようとしている。

競争の土俵を同一にする(level playing field)には、米国も企業支援をしなければならないということになったのである。2020年代に入って世界的に一段と強まった脱カーボンの動きも、政府関与が決定的である。炭素排出に関して経済的ペナルティとアドバンテージを与え、特定産業・企業を支援することは、まさに民間に対する公的介入になる。

そもそも 21世紀には牧歌的自由貿易説、比較優位説が成り立たない事情があったことが以下の点から指摘される。

1)コストの圧倒的部分が、固定費(=過去投資の累積額=R&D、累積設備投資、セールスフランチャイズ投資など)→履歴効果、収穫逓増の世界、容易には破壊されず、固定費は政策が決定的。

2)企業内工程間国際分業一般化→例えば米国のデータベースを素材として使い、シンガポールで製品として完成させ、日本のブランドとフランチャイズに乗せて欧州で販売するといった企業内の国際分業もあるだろう。このような分業の場合、各国間の仕切りで付加価値の国ごとの配分が変わる、圧倒的配分はHQ(本社所在国)に配分されるが、それは比較優位や、要素費用均等化の法則にはなじまない。

3)直接労働工程はいずれすべて無人化していく→製造工程編成のノウハウが鍵に、マザー工場の役割が決定的。

通商産業政策により国家が介入することの意義を、ノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンの新貿易理論を紹介することで確認しておきたい。古典的自由貿易論の限界に対して、1980年代にクルーグマンの提起した新貿易理論は、国際分業と貿易発生の原因を、産業の地域集中がもたらす規模のメリットによってコストが低下すること(つまり収穫逓増)に求めた。そして特定地域に産業集積をもたらすものこそ、神から与えられた天性ではなく、後天的な第二の天性である、と考えた。第二の天性とは、偶然や政策などによって事後的に備わった特性であるが、それはあたかも遺伝子のごとく、最初は小さなものであっても、将来の発展を運命づけるものである。何が産業集積を導くきっかけになるか、シリコンバレーにはスタンフォード大学の存在と優秀な技術者を魅了する素晴らしい天候、自然があった。インドのバンガロールの場合、政策が決定的であった。デトロイトの場合には、自動車産業の創業者ヘンリー・フォードの故郷という偶然が自動車産業の地域集積をもたらした。

そして、どの場合にも最初の一滴が重要であった。

それはつららの形成と良く似ている。冬になると北海道などの寒冷地では雨どいから大きなつららが垂れ下がるが、なぜ特定のポイントからだけつららが成長するのだろうか。それは、最初の一滴がそこから落ちたため、としか言いようが無い。雨どいに何か小さなゴミが付着していたため、それに伝わって水滴は下落したのかもしれない。また、ペンキの塗り方が不均等で凹凸ができていたためかもしれない。何かの理由で最初の一滴が決まり微小なつららが誕生すると、二滴目は必ず同じ地点から落ちる。三滴目、四滴目と続いてつららは成長することとなる。やがて大きなつららが形成されるが、それは最初の微小な一滴がどこから落ちたのかで全て決まってしまう。集積の履歴効果がさらに効率を高め競争力を一段と強める。

クルーグマンはハイテクのシリコンバレー、航空機のシアトルはたまたまルーレットが止まったところと称しているが、最初の一滴が、いわゆる外部性(externality)を著しく高め、企業同士や労働者、技術者が近接して立地するメリットをより大きくする。

このように事後的な力が最初の一滴をもたらし将来の運命を決めるとなると、自由貿易ではなく管理貿易、通商政策、産業育成策などの政府の介入も時には必要となる。第二の天性を政府が介入によって付与する意義は大いにある、ということになる。この最初の一滴の効果が、ハイテク産業では極大化しているのである。

こうした一連の議論は、市場メカニズム、つまり市場による最適資源配分には限界がある、ということを示している。

以上検討してきたように、大きな政府を不可避とする決定的な事情が存在している以上、この趨勢は不可逆的なものである、と考えられる。かつて通産省主導の超LSI技術研究組合(1976~1980年)の成功は、日米通商摩擦時に大きな批判を浴びた。以降、財政赤字の増加もあって日本政府は産業技術支援に及び腰になってきたが、そのスタンスを大転換させる覚悟が必要であろう。

(2021年7月13日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン284号」を転載)

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